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トピック

パラリンピックを目指す荒武優仁さんその2
受け入れられるわけがない~Overcome! 車いすラグビー


車いすラグビーパラリンピック代表入りを目指す荒武さん。生き生きとした生活を手にしている彼は、特別な人なのだろうか?

受け入れられるわけがない

2016年、障害を負った直後の話を聞いてみた。

荒武:
首の神経を損傷して、呼吸ができませんでした。幸い、一命をとりとめましたが、直後は手も動かすことができません。介護を受けて何とか生活することができました。

身体の失われた機能(鎖骨から下あたりの感覚がなくて…腹筋、背筋、あと胸筋も一部感覚がありません)を認めることができませんでした。見舞いに来てくれた友人と話すときも、「元にもどるよ!」と励まされれば、「元にもどる」と信じる始末でした。

リハビリでは残された身体の機能を使うことを学びます。言いかえれば失われた身体の機能を認めるところから始まります。療法士さんにリハビリを手伝ってもらいながらも、いつか失われた機能は戻るさ、そんな気持ちに支配されていました。

正直言えば、いつか足を動かすことができると信じていましたが、さすがに無理ですね(笑)。

一瞬で奪われる

卒業文集、将来の夢に、「体操でオリンピック」と書いた。
荒武さんは小学2年生から体操を続けていた。

障害を負う以前の話だ。
学生時代、アルバイト先の体操教室で、キューバ人のサーカス団員イドさんと出会った。イドさんから聞くサーカスの話は新鮮だった。
空中ブランコや綱渡り、一輪車を使った芸、トラなどの猛獣を操った芸などを披露して観客を楽しませるのがサーカスの仕事だ。自分の技で観客を楽しませる、スポーツとは違ったエンターテイメント性に荒武さんは魅了された。

2015年4月、新人サーカス団員として入団、最初は雑用の仕事をしながら、一日でも早く公演の舞台に立てるように技を磨いた。得意技は、体操経験を活かしたバク転や宙返りなどのアクロバット演技だ。
2015年8月には、オープニングショーのレギュラーに、待望の舞台出演を獲得した。サーカスは日本中を公演でまわる。行く先々での仲間たちとの観光、サーカス団員たちとの恵まれた人間関係。不満などどこにもない、まさに順風満帆でこれからだった。

2016年1月、荒武さんは公演の演技中、事故で障害を負う。

障害と向きあうとき

事故直後は、何が起きたのか、何が何だかわからなかった。頭の中はグルグルとまわり、痛みのことさえ記憶にない。何が起きたかを理解できたのは病院だった。

「大丈夫さ、身体は動くようになるさ」
それは思い込みというより、祈りに近いものだったのかもしれない。

どんなに動かす努力をしても、失われた身体の機能は回復しない。事故直後から現在まで、失われた身体の機能はそのままだ。
事故から半年位過ぎた頃、「やはり失われた身体の機能はもどらないのか」と感じ始めていた。

思い切って聞いてみた。
自暴自棄になりませんでしたか?

「大丈夫だから」思い出すのは看護師さんや患者さんの言葉

荒武:
「大丈夫だから」、何度も言葉をくれる看護師さん。今思えば、心のケアをしていただいていたのですね。

脊髄損傷暦の長いおじいちゃん(病棟の患者さん)の言葉が心に突き刺さった。
「ケガをしても、こんな仕事があるよ、結婚して子供をつくれるよ」「健常者と変わらない生活を手にしている人もいるよ」。
荒武さんの心に大きな影響を与えた言葉だ。

パラリンピック 車椅子ラグビー

荒武:
私が入院していたのは第8病棟、頚髄損傷患者さんを数多く診ている病棟でした。
そう、8病棟の看護師さんはこれからの可能性やリハビリのことをたくさん教えてくれました。

失われた身体の機能は戻らない、そんな事実は認められるはずがない。
転機となったのは、看護師さん、病棟の患者さんの言葉。ここから荒武さんに新しい目的が生まれた。健常者と変わらない生活をつかみ取るという目的が。
病棟のおじいちゃんが言った「健常者と変わらない生活を手にしている人もいるよ」が、今でも荒武さんにとっては忘れられない言葉だ。

障害を受け入れるまでの道のりは険しかったはずだ。受け入れた後に残ったものは、感謝の気持ちだった。

生活をつかみ取るために(障害者としての)役割をさがす

頸髄損傷との本当の戦いはここからはじまったのかもしれない。
生活を支えるには収入は大事だ。障害があってもできる仕事(デスクワーク)で健常者との棲み分けを模索しはじめた。

スポーツで生計を立てることは甘くない。健常のプロスポーツ選手でもアルバイトで生活を支えなくてはならないことも。
荒武さんから「場所」という言葉が漏れた。場所とは、勤務先の場所のことを言っている。自宅から勤務先が近くても、車いすで通勤ができるのかを確認しなければならないのだ。

荒武:
車いすで仕事場まで行けるかが最初の壁です。公共の交通機関を含め、すべて車いすで移動できるわけではありません。でも慣れたから苦にはなりませんよ!

まず自分のスキルアップ

荒武さんのご自宅におじゃました。最初に目に入ったのは、本棚だ。

本棚には、デスクワークスキルアップのための書籍がぎっしりと詰まっている。
今だからこそテレワーク、在宅勤務がなじむようになったが、当時は在宅やデスクワークが許される仕事を探すのも容易ではなかっただろう。

ホームページの制作や更新の仕事を在宅で受けるためにhtm、css、PHPやjava scriptを、少しでもお金を増やすために株式投資の勉強を。何冊もスキルアップのための書籍が積み上げられている。

仕事では生産性に注意した。パソコンのモニターは2台のデュアルモニター体制だ。ファイルをいちいち切り替えず、資料やドキュメントを表示するモニターと作業をするモニター2台を同時に駆使して一気に作業効率を狙う。 「障害者だから生産性が低い」、そんな言い訳など絶対するものかという覚悟さえ感じる。
荒武さんの部屋には、学びと工夫の跡がいたるところにある。

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楽しい! 車いすラグビーと出会う

リハビリの時だ。療法士から、何かスポーツをやってみたらと薦められた。
「君くらいの年齢でこれだけ身体が動くのだから、絶対スポーツやったほうがいいよ!」

薦められるまま、車いすラグビー用車いす、通称ラグ車に乗った。 競技用の車いすは難しくない、むしろ軽く動かしやすく自由だった。 身体が動かせることが楽しくてしかたがない、夢中でラグ車に乗った。

動ける!楽しい!!



車いすラグビーにのめりこむのも時間の問題だった。初心者の荒武さんは、車いすラグビーの猛者達には歯が立たない。車いすラグビーの猛者達に勝ちたい、競技者としての目標が芽生え始めた。

解き放たれたような気持ちになると荒武さんは語る。ぶつかってもいい、転んでもいい、相手競技者と真剣勝負だ。やる者も観る者も、誰も障害のことなど考えない。そこにあるのはスポーツに向かう真剣さと純粋さだ。体育館を覆う心地良い空気感の正体は、これだったのかもしれない。

また目標があらわれた

2017年1月現在所属のチーム(ウィルチェアーラグビーチーム BLITZ)に参加する。実はこのチーム、全国屈指の強豪だ。
どうせ入るなら強豪チームに、強い選手に囲まれ、もまれたいという気持ちでBLITZに参加した。もまれたいという気持ちは、いつしか世界、そしてパラリンピック代表入りを目指す気持ちにと変わっていった。

身体を動かせることがただただ楽しかった、それが車いすラグビーを始めるキッカケだ。荒武さんだけではなく、他の競技者のプレイを見ても、なぜかこの言葉が思い出される。

荒武さんはこう振り返った。
「(障害を)受け入れたからこそ、今がある」と。

練習参加もラクじゃない

写真を見て欲しい。選手が練習に必要な一人分の用具一式だ。これを車いすで各自運ぶわけだが、段差があるととても困難、スロープがあっても簡単ではない。
実際、用具運びに慣れない競技者を目にしたことがあるが、スロープを使っても運ぶことにとても苦労をされていた。

実は住居選びも一苦労。坂が多ければ生活の行動範囲が狭くなってしまう。

自動車を改造した

練習用具の運搬、練習場所の体育館に通う、簡単に事は運ばない。
自動車を運転するためにも、ブレーキ、アクセルを手で操作できるように改造が必要だ。
改造費用を聞いてみた。
荒武:30万円位でしょうか。

東京パラリンピックでは、代表入りを逃したが、荒武さんは来年の世界選手権、そして次回のパリパラリンピックへと準備を進めている。荒武さんは、ちょうど新しいラグ車(車いすラグビー用の車いす)を発注したところだった。

荒武:
あたり負けしないように新しいカスタムのラグ車を注文しました。もうすぐ届くんですよ!

プレゼントを待つ子供のように、荒武さんの表情はキラキラしている。

次回は:新しい環境で世界選手権、パリパラリンピックにかける意気込み、そして再生医療について聞いた。

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