パラリンピックを目指す荒武優仁さんその4 頚髄損傷と戦う看護師
ターニングポイント
荒武さんが事故直後から障害を受け入れるまでの約半年間、病院での人との出会いや言葉、そして車いすラグビーとの出会いが人生のターニングポイントになった。ターニングポイントは看護師にもある。吉川は、早くから当院の脊髄損傷病棟に配属され、頚髄損傷や脊髄損傷の患者さんを多く診てきた。脊髄損傷に関してはベテランだ。現在は、脊髄損傷の患者さんの退院調整をしている。荒武さんの担当看護師ではなかったが、当時をよく覚えていた。荒武さんが障害を受け入れようと苦悩していた時期だ。吉川に荒武さんの当時を聞いてみた。
吉川:
とても穏やかな人柄でした。ただ、車いすに乗りたがらず、治る気力が弱いように感じていました。「治る気力が弱い」、車いすラグビーで来年の世界大会を目指す今の荒武さん(記事リンク)を知っていれば、意外に思われるかもしれない。しかし、障害を受け入れ立ち向かうには、長く暗いトンネルがある。そして、トンネルは看護師にもある。吉川は、現在の荒武さんの笑顔の写真を見て、安堵した様子だ。
吉川:
イイ顔してますね!
看護と患者さんとのかかわりかたの大切さ、あらためて実感しました。
村山の脊髄損傷病棟、そのかかわりは、患者さんの長い人生の中では、ほんのわずかな時間だ。その時間が患者さんの人生のターニングポイントになる事を噛みしめる。
お前はおよびじゃない
吉川は少しずつ過去を振り返ってくれた、苦い話だ。
脊髄損傷病棟のAさん。家族が面会に来たとき、はじめて「オレはどうなったのだ?」と不安を口にした。しばらくすると看護師に「オレは動けるようになるのか」と聞くようになる。それは、幾度も繰り返された。次第に患者さんがイライラをつのらせる様子は、吉川にもよくわかった。「チッ」、患者さんの舌打ちを聞くのが、怖かった。看護師に反発する患者さんも少なくはない。患者さんが言葉を返してくれない、患者さんの心のうちが、針のように突き刺さる。
仕事中の事故で障害を負った女性Bさんはこう言った。 私の足は動かないのですか、結婚もしたかったし。もっと色々なことをしたかった。死にたい、と涙した。家族に迷惑をかけたと自分自身を責める患者さんもいる。相手の過失で身体の自由を奪われた患者さんもいる。障害は患者さんの身に突然ふりかかる。食べたい、立ちたい、話したい、家族の手を握りたい、あたりまえの事が突然できなくなるのだ。声は出るようになるのか,手は動くのか、ご飯を食べられるようになるのか、動けるようになるのか、治るのか。治らないと診断されても、身体を返せと心が叫ぶ。
患者さんの心情を私達が理解することは簡単ではない。仕事の不安、生活の不安、大切な人を失う不安、人生の目的を奪われること。希望を失うことは絶望だ。死にいたる病が絶望であるという言葉が重く響く。
わたし(吉川)は…患者さんにとって、邪魔ではないのか、いてはいけない存在ではないのか。
心を痛め苦しむ同僚も多い。
ある日、補助器具作りの職人さんに言われた。
「(オマエは障害を負ってないから)オマエはわかってない。」
職人さんの言葉に対して、憤りがなかったと言えば嘘になる。
そのとおり、私は障害を負っていない、そのとおり、私は障害の苦しみをカラダではわかっていない。
患者さんにわたしは必要なのか?無力感がこみ上げる。
キツい言葉は「いいよ」の証(あかし)
吉川:
どんなにキツい言葉でも言ってくれる方がいいですね。
たしかに患者さんの言葉に傷つくこともありました、でも、言ってくれれば患者さんの気持ちや考えを知ることができますから。
患者さんからの言葉、それは患者さんとのかかわり方をさぐる糸口だ。患者さんの言葉や態度を手がかりに、患者さんとの向き合い方を考え、そして悩む。
吉川:
どんな言葉でも、辛い気持ちでも。言ってくれるということは、私がかかわっても良いという、患者さんからの許しですよ。
それでも想いをくみ取れない患者さんもいた、そう吉川は振り返った。やっと人に話せるようになったCさんとのエピソードを、ゆっくりと吉川は語ってくれた。
Cさんは、返事がない、最後まで何を考え、何を想っていたのか、最後までわからなかった。
2019年の冬
吉川は、Cさんの思いを全くくみ取れなかったと述懐する。Cさんは不全麻痺、吉川が何を問いかけても反応がない。病棟の看護師仲間のみなも正直Cさんには手を焼いていた。家族にも心を開かない患者さんだった。誰もがCさんとのかかわり方がわからなかった。何しろ問いに反応してくれないのだ。Cさんは自ら命を絶った。
Cさんに投げかけた言葉、配慮のつもりだった自分の行い、原因が自分の行いにあったのではないか。吉川は医師、作業療法士ともにCさんの退院調整にも関わった。退院後、どのような生活を送ることがCさんのためになるのか、吉川は看護師としてCさんの退院へのお手伝いをする役目でもあった。
吉川:
キツかった…
あのときの私の言葉が引き金になったのではないのか、私の判断、私の振るまい、私の言葉、間違いだったのではないのか。わたしがCさんの死の原因になったのではないか、どうしてもそう思えてしまうのです。忘れようにも忘れられません。
(看護という仕事を)辞めたくなりませんでした?
吉川:
そうね、心が疲れる(笑)
患者さんに救われる
看護の苦悩を受けてとめ、理解してくれる人は数少ない。患者さんに理解者が必要なように、看護師にも理解者が必要だ。相談できる、そして悩みも打ち明けられるスタッフの存在が重要だ。
吉川:
悩みながら毎日やっているので、聞いてくれる同僚とか…
心の底から、本音を話せる同僚がいるから、仕事を続けることができたのかもしれませんね(笑)
患者さんと寄り添うとは、時には、患者さんが持つ負の気持ちを受けとめることになる。
心が傷つき、時には病む看護師もいる。衝撃から、もう一度立ち上がるための答えは誰もわからない。自分でどうにかするしかない…そのとおりなのだ。
吉川:
(私達の救いは)もしかしたら、理解者がいることかもしれません。仕事のことは、家族に言ってもなかなか伝わりません。ましてや、個人情報をむやみに漏らすわけにはいきません。聞いてくれるだけではなく、わかってくれる同僚の存在。大きいですよ。
続けて吉川はこう言った、「実は患者さんや患者さんのご家族に救われているのです。」
患者さんやご家族の言葉に救われることもあるのだ。患者さんやご家族が、担当が吉川さんで良かったと言ってくれたら最高!心の底で渦巻いていたツライ感情が一瞬でリセットされる、「さあ、がんばろう」という気持ちがこみ上げるのだ。
食べ物を味わうということは,体の感覚を失った障害者にとって限られた楽しみだ。思うように動かない手、自分で食べる練習をしてもこぼしてしまう。食事をこぼす自分の姿は辛い、だんだん食べることが嫌になってしまう。Dさんは、あまり気持ちを表に出さない、どちらかと言えば内向きで無口な少年だ。何を考えているのか、くみ取りづらいところがあった。最初は看護師が一緒にスプーンを持って食事の介助をした。次は、器具を使って食べる練習をした。リハビリで、器具を使った食べる練習後のことだ。嬉しそうに「食べれた!」、素敵な笑顔で吉川に教えてくれた。Dさんは、自分でできることが増えてきた喜びをかみしめている。嬉しい!患者さんの喜びが入ってくる、患者さんの喜びは知らぬ間に吉川の喜びに変わっている。「自分でできた」、患者さんにとっての小さな一歩だ。ほんの些細なことでも良い、小さな一歩は、患者さんを前向きにする、次の一歩を踏み出す勇気になる。そして、看護師は、同じ気持ちを共有することができる、それは患者さんからの幸せのお裾分けだ。
豊かにする知恵
脊髄損傷歴30年のEさん、褥瘡(じょくそう、床ずれとも言われる)ができると来院されたり、もう村山医療センターとは30年のおつきあいがある。吉川もつきあいは長いが、話らしい話をしたことはなかった。その患者さんに末期がんが見つかった。ふたりで話す機会を得た吉川だが、どのように切り出せば良いのだろう、どのような言葉をかければ良いのだろう、話す前は悩んだ。勇気を試されているようだった。
「思っていることを言って欲しい、教えてくれないとわからない。」
悩んだあげくの直球勝負だ。
「家に帰りたい。」Eさんは、ぽつりとつぶやいた。
つきあいは長いEさん、でも無口なEさんと話が弾んだ記憶はない。言葉のやりとりではない、心と心のやりとりが成立した瞬間だった。Eさんと話した後、吉川はぼろぼろ泣いた。
Eさんには学ぶべきところがある。Eさんはその30年、ひとりで生活をしてきた。退院後は、リハビリのために村山医療センターの近くに移り住んだ。暮らしやすくするために、家に手を入れていく、工夫をする。看護師の吉川の目から見ても、Eさんの暮らしのアイデアは感心するものがある。麻痺の足、そう感覚のない足を持ち上げるのは、一苦労だ。足を持ち上げることが苦手になり、諦める人もいる。Eさんは靴にロープをつけて、簡単に持ち上げることができるように工夫した。トイレもそのままでは、座ることができない。トイレにたどり着けるように台座をトイレの横に作って一人で座れるようにした。吉川が患者さんのご自宅を訪問した時のことだ。モノを落としたときに拾えるように、トング(ピンセットのように挟み込むことによって安易、かつ軽い力で掴みあげられる道具)が置いてあった。リビングにも、キッチンにも、お風呂にも、トイレにもある。どこに落としても拾えるように、トングが置かれている。生活の工夫、それはEさんのライフワークのようにも見えた。暮らしやすくするために考える、工夫して実行することが楽しんでいるのだ。
実は吉川は患者さんのご自宅を訪問する機会は少なくない。退院後、家をどのように改修するかの相談にのるために訪問するのだ。療法士さんが同行することもある。家の構造を見て、「ここに手すりをつけた方がいいね。」「この方の場合は、この位置にとりつけた方がいいね。」こんな会話が患者さん、業者さんを交えて行われる。今まで多くの患者さんのご自宅を訪問した。患者さんの暮らしの工夫、そのアイデアは吉川の引き出しにもなっていった。
どこまで病院に相談できるか、悩まれる方も多いかもしれない。医師や看護師の前では、なかなか言いたいことを言えない患者さんもいる。実は、医療従事者も患者さんの一言が欲しいのだ。看護師だけではない、当院のスタッフたちには、病院の医療相談をみなさんに活用していただきたいという気持ちがある。
看護に正解はないのか
患者さんとのかかわり方、それは1+1が2になるわけではない、筋道立てて考えた結果が正解とはかぎらない。正解が見えない問題をいつも解き続けている。
吉川:
正解かどうかはわかりません。評価らしいことができるのは、かなり先。そう数年は経過しないと。将来の患者さんの姿を見て、はじめて当時の判断が良かったのか、悪かったのか評価できるかもしれません。患者さんが最後を迎えるとき、わたし(看護師)の存在を認めてもらえれば、はじめて安堵できしるし、正解に近づけたのかもしれませんね。
患者さん自身も正解はわからない、患者さん自身も最適解をさがしている。もちろん看護師も最適解はわからない。それは共にさがすこと、寄り添うということかもしれない。
何かがかわった
かかわった多くの患者さんが吉川に大きな影響を与えた。吉川の中で何かが変わった。仕事をすればするほど、患者さんから話を聞く難しさを実感する。
吉川:
(まず)聞くこと。
聞くこと、それは頭で理解することだけではない。患者さんやご家族の心の内にわけいることだ。簡単ではない、でもその努力はしたい。
脊髄損傷病棟勤務を経て、吉川は医療連携室で患者さんの退院後のお手伝いをしている。家族の待つ自宅にもどりたくない患者さん、頑固な親爺殿の話だ。この患者さん、ちょっと頑固な親父さんだ。退院後、家族の待つ家には帰りたくないと言う。かなり強い意志だ。この患者さんのケースとは逆で、患者さんは家に帰りたい、家では面倒がみきれないので、家族が患者さんの施設行きを希望することもある。家族は、「お父さん、家にもどってきて」、 いつまでたっても親父さんと家族の話し合いは平行線、どのように親爺さんと家族を調整するかも吉川の役目だ。
ある日、親父さんの本音が見えた。障害を負った身体で家にもどって、家族に迷惑をかけたくない。だから施設行きを希望していた。親父さんも家族と一緒に暮らしたいのだ。
吉川:
今までは、患者さんやご家族に看護師らしい提案をしてきました。患者さんもこうあるべき、こうするのが幸せだろうと。それはご家族に対しても同じでした。でも、コレは少し違うのかなと思い始めたのです。
医師ともよく話し合った。時には医師と意見が衝突することも多かった。医師という立場、看護師という立場、立つ位置が変われば患者さんの見え方も変わる。
吉川:
さまざまな選択肢がある中で医療従事者が決めつけてはいけない、これを肝に銘じています。看護師になりたての頃は、この患者さんはご家族と家で暮らすには、患者さんもご家族も双方たいへんだから、患者さんは施設や病院に行った方が良いのではないか、教科書通りに決めてしまうこともありました。
看護師としての経験も考えもある、時にはそれを押しつけてしまう。違う、提案の前に聞くことだ。考えたことを捨てるわけではない、まず相手の話を聞くのだ。医師がこの人は(家に帰ることは)ムリだよということも。ムリの意味は吉川もよくわかっている。その通りに進めて良いのだろうか。医師、看護師、役割が違えば、患者さんをみる視点もかわる。視点がかわれば、目に映るモノも変化する。色々な意見がでてくるわけだ。それは看護師同士でも同様で考え方の違い、経験値の差で考え方は一致しない。難しい、しかし医療従事者の間の調整に力を注ぐ。
聞く難しさを毎日実感している。患者さんの気持ちが聞けたとき、暗闇に光が差し込むように喜びがこみ上げる。あーっ、良かった。ちょっと叫びたくなるくらいだ。これで次に進める。具体的な対処方法や患者さんとご家族の調整方法を思案できるのだ。患者さんや家族の気持ちをかなえる道を探すことが仕事だ。言葉だけ聞いても間違えるかもしれない。患者さんの心のうちにわけいる努力、それが吉川の「患者さんに寄り添う」かもしれない。
看護のあり方、患者さんへの理解、これらには批判や意見があるかもしれない。看護は知識や経験だけではなく、当人の考え方や人間性も色濃く反映する。ヒト(患者さん)対ヒト(看護師)のかかわり方にマニュアルはない。患者さんが本当に満足できる人生を送れるのか、送れたのかはわからない。看護の正解を証明するには、患者さんが、最後の時を迎えたときに発される言葉しかないかもしれない。正解は誰にもわからないのだ。
これで良いのか、間違っていないか、何度も繰り返し考え、悩む。
迷いがないと言えば嘘になる、けれど、想い悩みながら患者さんに寄り添う道を探している。吉川はこれからも多くの患者さんに励まされるだろう。そして、それと同じ位、患者さんと共に傷つくはずだ。
頚髄損傷と戦う看護師がここにいる。