パラリンピックを目指す荒武優仁さんその3 Walk Again! それでも再生医療に期待する
今回は、合同練習を取材した。荒武さんは、注文した新しいラグ車(車いすラグビー用の車いす)であらわれた。かなり高額なお品物、ここでは値段は伏せておこう。
「他にお金を使うところがないので(笑)」
照れながら荒武さんは答える。
車いすラグビーに没頭しているので、他にはあまり関心がない、物欲があるわけではないから無駄遣いすることもない。 しかし本音は、「お金を使いたい本当の目的がある、だから無駄遣いしない」なのだ。その意味は後で知ることになる。
来年の世界選手権に向けて始動
最高の状態で世界選手権を迎えるためには入念な準備、いわゆるピーキングが必要だ。ピーキングとは大切な大会や試合へ向けてコンディションを最高の状態にもっていくように調整することだ。
オリンピック延期と2021年の開催、開催か中止かの議論が多くの選手達のメンタルに影響したことは皆さんもご存知だろう。大会に向けての身体と精神のコンディション作りは簡単ではない。
荒武:
身体のコンディション作りは面倒で、病院の助けも必要です。麻痺があるので排便、排尿は肛門科や泌尿器科。床ずれ(褥瘡)では皮膚科。練習や試合での故障、怪我は整形外科に、療法士さんの力も借ります。身体の不調を何とかするために、手術を視野に入れる選手もいます。
荒武さんは最近、スポーツに理解のある会社に転職した。競技生活を続けたい選手をサポートするアスリート採用だ。アスリート採用は、社員として籍を置きながらも、会社が競技に打ち込むことができる環境を用意してくれる。つまり練習時間を会社が与えてくれるというわけだ。そのかわり会社は、仕事だけではなく、スポーツでも成果を求める。荒武さんは、結果を出さなければならないというプレッシャーを感じている。しかし、それ以上に次の目標、世界選手権に燃えている。
荒武:
実は手の麻痺の度合いが左右違います。右は握力10kg、左は2~3kg位で左がうまく使えません。元々右利きだったので、車いすラグビーでもパスは右手でさばいていました。でも右だけでは、限界があるので、今は左でもパスができるように練習しています。
左手パス練習の成果には思わぬ恩恵があったようだ。
荒武:
左手パス練習の成果ですが…実は日常生活で左手を使うようにしたところ、ちょっとした革命が。麻痺の強い左手にも仕事をさせたら、生活はかなり便利になりました。スプーンやフォークを左手で、ひげ剃りも左手を試しています。無意識に左手も使うようになることが増えました。
荒武:
左手パスの練習も、左手を生活に応用することも。自分が伸びることを実感しています。楽しいです!
常に新しい目標があらわれるようだ。自然と生まれ出てくる目標に挑戦する、挑戦の結果以上に挑戦していること自体を楽しんでいる。それが荒武さんの楽しいの正体のようだ。
僕の家族、僕の結婚
今回の取材で今まで耳にしていない言葉を荒武さんの口から聞けた。
結婚。
サーカス団員時代から障害を負うまで、結婚を考えることはなかった。結婚という言葉が荒武さんの脳裏によぎるようになったのは、むしろ障害を負った後だった。
今、荒武さんは30歳。
障害者でも結婚し子育てに励む友人も増えた。結婚し子供を育てる、そんな光景にふれれば、結婚を意識するのは自然の成り行きだろう。色々とお聞きしていると、どうやら、かなりの子供好きのようだ。
荒武:
砂場で(自分の)子供が遊んでいる、それを少し遠くから見つめている自分の姿に憧れますね。子供とキャッチボールもやってみたい。
子供と遊んでみたい、でも荒武さんは多くを望まない。子供と一緒に海で泳ぐ、旅行をする、そんな誰もが描く、ごく普通の希望に心のブレーキがかかっているかのようだ。どこまで子供につきあえるのか、どこまで子供と一緒に遊べるのか、その行き先はまだ見えない。
知って欲しい 段差「5cm」という境界線
将来の家族像を思い描くようになったキッカケは一年ほど前に知り合った女性の存在が大きい。お互いが思いやり、お互いが知りを繰り返す一年だった。
さすがにパートナーの話は荒武さんにも照れがあるようだ。お相手の事も聞いてみたい気持ちはあるが、今は静かにお二人の今後に幸多きことを祈りたい。
パートナーに知ってもらいたいことは何でしょうか?
何気なく聞いた質問だ。朝食の目玉焼きは醤油派、そんなとりとめのない回答を少し期待していた。
荒武:
段差です。
荒武さんとパートナー、そして家族との行動範囲を心配しているのだ。段差があれば、一緒に遊びに行くことはできない。
荒武:
ご存知の通り、車いすです。一緒に遊びに行けない場所があります。例えば、アウトドア。キャンプ場の道は舗装されていません。道のでこぼこ、段差は車いすではどうしようもないのです。
街での行動範囲も心配だ。
荒武:
車いすでも舗装された道路なら、5cmまでの段差なら何とかなります。それ以上の段差は、行き止まりと同じです。進むことができないのです。
写真は5.7インチのスマートフォン、横幅を計ってみた。約8cmだった。5cm以上の段差は、道路だけではなく、ショッピングや食事を楽しむ商業施設や駐車場、街中いたるところにある。 パートナーが「5cm」を理解していなかったらデートの待ち合わせさえ実現しないだろう。
5cmを超える段差、それは誰かに助けを求めるか、諦めなければいけないのかの境界線だ。
クラス分け、小さな回復でも願っている
この5年間、少しでも失われた身体の機能を取り戻そうと努力をしてきた。スポーツもした、リハビリも試みた、生活も工夫した。ご存知の方も多いだろうが車いすラグビーは障害の重さによってクラス分けされる。クラス分けのためにかなり細かく身体機能、分かりやすく言えばどの程度動かせるかが測定される。
クラス分けとは:障害は部位や程度によって身体の能力に差が出る。公平に競技を行うために同程度の障害のある選手同士で種目などを分けることを「クラス分け」と言う。クラス分けの規則は競技ごとに異なる。
荒武さんだけではない、身体の測定には選手の様々な感情が交錯する。言わないだけだ、皆が身体の機能の変化を期待している。
ちょっとは良くなっているじゃないか
少しの回復でもいい、少しでも動いて欲しい
口にできるわけがない、期待してはいけない、身体の機能に進展が見られなかった時、その気持ちはどこに捨てれば良いのだろうか。荒武さんの身体の機能は、障害直後と今とでは何の変わりはなかった。障害を受け入れ、充実した生活を送るように見える荒武さんでさえ、ため息まじりになる。
再生医療に期待する
荒武:
少なくとも車いすラグビーをやっている全員が再生医療のニュースを追いかけています。新しいニュースがあれば、僕が調べていなくても、仲間から情報が流れてくるんですよ。
再生医療の動向への関心は強烈だ、荒武さんはこう語る。再生医療可能性の小さな一報への反応は、まるでワールドカップで日本が勝った、負けたと一喜一憂するサポーターと変わらない、それほど激しいものがあるという。 再生医療の前向きなニュースがあれば、研究者ガンバレ!病院ガンバレ!!と応援しているわけだ。後ろ向きなニュースがあれば、その落胆ぶりは明らかだろう。
荒武さんたちにとって再生医療の情報は断片的だ。ニュースで知ること、友人からの口伝えや時には噂話として伝わってくる。
荒武:僕たちが知っている再生医療の話は…情報の精度が悪いかも知れませんね。人から聞いて話が伝言ゲームのように伝わるのです。
現時点では、医療費が高額になるということが、共通の認識らしい。希望の光を見るように、再生医療を応援する気持ちと、(金銭的に)裏切られかもしれないという不安が同居する。
想い願い挑戦する、それでも「治りたい」
冒頭の「お金を使いたい本当の目的がある、だから無駄遣いしない」の意味。その正体は再生医療のための貯金だ。どのくらいのお金が必要かわからない、しかし再生医療実現の時には、治療を受けたい。
治りたいのだ。
そのためには医療費のために貯金したい、収入を増やす、仕事でデスクワークのスキルを磨くのはそのためだ。自由に動ける身体で、将来の家族、妻や子供と遊ぶ自分の姿を想う。身体を動かすこと、それを取り戻すことに、今も荒武さんは想い、願い、そして挑戦している。
意外な言葉を聞くことができた。
「パラスポーツがなくなったらイイですね!」
そう、いつか再生医療が実現し、誰にでも手が届く医療になったとき。パラスポーツが昔話で語られる、そんな時代を夢見ている。
今を生きる
再生医療への期待と不安、段差5cm、花が咲き揃うには、まだまだ遠い道のりだ。選手としての活動でさえ、安泰ではない。
荒武:
選手として、活動を続けることには、東京パラリンピック代表メンバーでさえ、不安があります。
今回のパラリンピックは、地元開催ならではの熱がありました。熱があるからこそ、多くのスポンサーや協力者と一緒に戦うことができました。大会までの練習環境の充実、様々な支援を受け、東京パラリンピックは、選手にとって恵まれた大会だったのです。
次回のパリ・パラリンピックの時に、その熱があるのか。それは誰にもわかりません。
聞きにくい質問もした。車いすラグビーからの引退やアスリート活動をささえる収入が途絶えたらどうするのか。いつも希望と一緒に不安は後からついてくる。
全力を尽くす。
それが荒武さんの答えだ。今、荒武さんは、来年の世界大会出場に向けて全力投球だ。
意地の悪い質問「代表入りを逃したらどうしますか?」に荒武さんは笑顔で返した。
全力で日本を応援しますよ(笑)
次回は:視点を医療現場に切り換えてみたい。看護師の応援、そして医師、研究者へと話を進めたい。